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執筆者の写真はるな

7月2日礼拝要約

2023.7.2 「はっきりと目が覚めると(山上の変貌)」

新約聖書ルカ9:28~36 春名牧師

イエス・キリストは十字架につけられる前、弟子のペテロとヨハネ、ヤコブを連れて祈るために 山に登られました。 そして山上で祈られていたイエス・キリストの御顔に明らかに変化があり、着ておられた服も白 く光り輝きだしたのです。 突如、もうこの地上にはいないモーセとエリヤが現れて、エルサレムで遂げようとしておられるイ エス様の最期について話されていたと聖書に記されています。 このことによりイエス・キリストの十字架の死はアクシデントなどではなく、明らかに神様のご 計画だったと言えるのです。 こんな有り得ない状況をペテロ達三人は現実に目の当たりにしたのです。

私たちはこの聖書箇所に記されていることから、何を学ぶことができるでしょうか。 1死んだ人が生き返る はるか昔に死を迎えたモーセやエリヤが現れたのです。この肉体が終わってもこの魂は永遠な のです。この魂は神様と共に生き続けるのです。今以上に豊かに生きるのです。イエス・キリスト と共に。

2栄光は受難の力となる イエス・キリストは十字架につけられることを知っていました。弟子達はどうしたら良いの か、これから誰を頼りに生きていけばいいのか不安と恐れがあったと思います。しかし、この山 上の素晴らしい状況が彼らに感動と勇気を与えました。 この栄光の体験を力に変え、その後ヤコブ、ペテロは福音を宣べ伝え殉教者となりました。ヨハ ネは大迫害の中、多くの苦難を乗り越えていきました。死を恐れずその生涯を全うしていきまし た。

神様が豊かな恵みを表してくださるのは

「私についてきなさい」と言われているのです。

3御心に従う時 聞こえる神の声 イエス様は何のためにこの地上に来たのかを改めて思い直す時間をこの山上で過ごされまし た。

「これはわたしの愛する子」と天から父の声がしました。 イエス様が受洗された時、そしてこの山上で、3度目はイエス様が血の汗を流されて祈っている 時、神の声が響き渡ったのです。私たちが神様の御心だと確信して受け入れていくとき、同じよう に神の声が聞こえてくるのです。 時には、私たちは神の御心を間違うことがあると思います。自分の気持ちと神様の御心は違うの です。神様の御心に聞き従うことは神の喜ばれることなのです。

日々の生活の中で私たちも御声を聞いているかもしれません。

私たちがはっきりと目を覚ましてイエス・キリストに従う生活をしていると、必ず御声が聞こえ ます。

「わたしの愛する子、私はこれをよろこぶ」 これからも神の御声を聞きながら、一日一日を歩ませていただいてると実感してください。


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