2023.7.23 「御顔を上げて」
新約聖書ルカ9:51~62 春名牧師
1サマリヤを通られるイエス
不安を覚える弟子達=御顔を上げて進むイエス イエス様はここに来るまで何度もご自身の十字架について弟子達にお話になっていました。い よいよそれに向かっての旅が始まったのです。弟子たちは恐れを感じていました。
2イエス様の救いの手を拒んだサマリヤ人 当時、ユダヤ人とサマリヤ人は仲が悪く付き合いがありませんでした。エルサレムへ向かう時、 サマリヤ地方を通らないのが常識でしたが、イエス様はあえてそのサマリヤ地方へ入られる準備 をしていました。
なぜサマリヤを選ばれたのでしょうか? ヨハネ4章でイエス様はサマリヤの女性に出ったことが記されています。彼女を通してサマリヤの 中でもリバイバルが起こっていたのです。 ところが、サマリヤの人々はエルサレムへ行こうとしているイエス・キリストを拒否したのです。 救いの手を拒否したのです! 当時、自分達の神殿が上なのだ!という考えから北からエルサレムへ行くことを許していなかっ たからです。 その時弟子たちは、エルサレムを滅ぼしましょうか!と激しい口調でイエス様に言いました。 弟子達は旧約聖書で書かれているエリヤの出来事を知っていたからでしょう。そして ヨハネとヤコブは山上の祈りで素晴らしい経験をしてきた直後だったからかもしれません。 私たちも素晴らしい経験をすればする程、謙遜しなければならないと学ばなければなりません。 言うことを聞かない人を裁こう!という考えは間違っています。 イエス様は滅ぼすためではなく、救うためにこの世に来られたのです。 サマリヤの人々は宗教的偏見により、真の救い主を拒否してしまったのです。 この日本でも、同じような事があります。聖書の話をしようとすると 「うちには関係ありません」
「うちは仏教なので間に合っています」
などと言われることがよくあります。
これはこのサマリヤと同じ状況だと思いませんか?
3イエスの弟子になる者の心構え
イエス様、あなたについていきます!
と言う者がいました。 イエス様は、その人が本当の覚悟に基づいているのかと心を見抜かれました。 また別の人に「私についてきなさい」と言われました。きっと父親が反対するでしょう。だから 彼は父親が死んだらついていきます、と答え、イエス様の招きを先延ばしにしてしまいました。 イエス様は親を捨ててついてきなさいと、決して親不孝を薦めている訳ではありません。優先順 位の考え方です。
戦場カメラマンが撮影した、苦しんでいる人々の写真を見て、「どうして目の前の苦しんでいる人 達を助けないのだ」と批判が殺到したことがありました。 戦場カメラマンは今起こっていることを伝えることが役割なのです。 それぞれに役割があるのです。
イエス様は神の国を伝えることが最も重要だと言われています。 他のことにキョロキョロしていると真っ直ぐに従うことができないんだよ、と言われています。私 に従うことはそれ相応の覚悟が必要だということ。 しかしイエス様について行く者が犠牲を払うことに何一つ無駄なことはありません。 必ず報いてくださります。
一つも地に落ちません!
全てイエス様の前に覚えられています! 私たちは喜びを持ってイエス様がされたように真っ直ぐに向かっていきましょう! 皆さんのできる方法で御言葉を伝えて
喜びを持って進んでいきましょう!
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