2024.2.4
今月より第一礼拝を、子どもたちも共に礼拝に参加するファミリー礼拝を始めました。
日曜学校のあとは、別れてましたが、あなたの若い日に造り主を覚えよ!
の、みことばを受け取り歩んでほしいと思いました。
にちよは教会に!!
「慕って絶えいる」
旧約聖書詩篇119:81~88
春名牧師
81節「私のたましいは、あなたの救いを慕って絶え入るばかりです」
この詩篇の作者は試練の中にいて必死に叫び求めていました。
82節「私の目は、みことばを慕って絶え入るばかりです」と
「私のたましい」が「私の目」と言い換えられており、御言葉に対する飢え乾きが表れています。
神様、もう限界です!!と絶望的な状況でありながら、
神様はお見捨てにならないと信じています。
私たちも同じように日々試練の中にいますが、神様の御言葉を正確に理解することが重要です。
この試練の終わりを知っていれば、我慢できるのではないでしょうか。
山上の垂訓の中でイエス様は「明日のことは思い煩うな」と命令されました。
私たちはその命令を無視するか、聞き従うかのどちらかしかありません。
神様は「思い煩うな、私が心配してあげる」と仰っておられます。
それでも人間が思い煩うのは神様に対する信頼不足です。
私たちの髪の毛すら数えられている神様が共に居てくださるのです。
最近の原因の分からない病気は、睡眠不足が原因ではないかと言われています。
私たちが眠っている間にも守ってくださる神様は私たちを愛してくださっています。
この神様の愛を知らないと思い煩いがあるのです。
私たちの心に思い煩いが多いのは、最終的にはそれが死に繋がることを知っているからです。
だから、自分の個人的な死を恐れなければ様々な思い煩いや心配から解放されます。
そして、この死の問題の解決は聖書を開く時に答えを発見するのです。
人生において自分がどこへ向かっているのか、聖書には行き先は天国だと記されています。
イエス・キリストをまだ信じていない人は心配するべきです。
聖書には「人は一度死ぬことと裁きを受けることは決まっている」と書かれています。
イエス・キリストが私たちの罪の身代わりとして裁きを受けてくださったことを
信じて告白することで私たちの罪は赦されます。
信じた人は肉体的な死を、個人的な死を、恐れる必要がありません。
最後は勝利で終わると知っていれば、心が病むほど心配することはありません。
「世にあって難はあります。勇気を出しなさい。私はすでに世に勝ったのです」
とイエス様は仰っておられます。
何が起こるか分からない毎日ですが、
勝利者としての人生が目の前に用意されていることを忘れないで下さい。
神様に慕って絶え入るばかりの信仰を持って歩んでいきましょう。
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