2024.1.21
「今始まったんだ!」
新約聖書ルカ10:25~37
春名牧師
私たちは死が近づくと「お迎えが来る」と言うことがありますが、
いったい誰がお迎えに来るのでしょうか?
ヨハネ14:1~3イエス様が最後の晩餐で「準備ができたら迎えに行く」と仰られました。
私たちを迎えてくださるのはイエス・キリストという素晴らしいお方です。
イエス様がどんなに素晴らしいお方なのか改めてよく知りたいと思います。
今日の聖書個所は良きサマリヤ人の例えとして、道徳的な話で終わることがありますが、
正しく理解するためには当時の時代、状況、差別に関して知っておく必要があります。
1 イエス様に対する差別意識
当時の律法学者はイエス様をナザレの単なる大工の息子ではないか、という意識から
見下していました。
2 ユダヤ人のサマリヤ人に対する差別意識
民族的、宗教的に敵対関係にあり、ユダヤ人はサマリヤ人を見下し軽蔑しており、
サマリヤ人はそんなユダヤ人に憎しみを募らせていました。
この2つの差別意識を念頭に置いて読み深めてみましょう。
「何をしたら永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょうか」
とある律法学者が質問しました。これはイエス様から群衆の心を引き離そうとする
悪意のある質問でした。イエス様はその意図を理解していたので、
「律法には何と書かれていますか」と逆に質問で返されました。
律法に書かれていることは正しいことですが、それを実行することによって
救われるわけではないことをイエス様は教えられています。
サマリヤ人の例え話では、祭司、レビ人はモーセの汚れの律法により倒れているユダヤ人を
助けることなく通り過ぎました。しかし、サマリヤ人は手厚く介抱し助けました。
民族的敵対があり、強い差別意識の中、サマリヤ人がユダヤ人を助けるということ、
これは奇跡に近く、信じられない例え話なのです。
しかし、イエス様はこのような信じられない愛と癒しの世界がイエス様を通して
始まっていることを伝えたかったのです。これがこの例え話のメッセージです!
アブラハムの時代から多くの預言者や祭司、王たちが待ち望んだメシヤによる
新しい時代が始まっていることを伝えられたのです。
1 世界にはこの世界を造り私たちに命を与えてくださった神様がおられる
2 その神様は私たちを愛し、イエス様をこの世界に遣わされ、私たちの罪のために
十字架に架かられ三日目によみがえり、信じる者と共に人生を歩んでくださる
3 もしあなたが、このイエス様と共に人生を歩みたかったら、私の心に来てくださいと
祈ったら良い
どんな罪も汚れも、赦し清めることができるイエス様によって、信じられないような驚くべき
恵みの世界が始まっていることを教えてくださっています。その方をもう一度思い起こしながら
驚くべき恵みの世界に私たちも入らせていただいていることに感謝しましょう。
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