2024.7.28
「回復はここにある」
旧約聖書詩篇127篇
春名牧師
詩篇127篇では人生のあらゆる時、生活のあらゆる面で神様を信頼して歩むことの素晴らしさが歌われています。イスラエルの都の壊れた城壁は修復され神殿も再建されました。目に見える物は回復したかもしれませんが、霊的な信仰の回復はまだまだでした。イスラエルの神の民は霊的な回復を求めていました。人々が霊的に回復するために大切なものは何かということをこの聖書個所から3つ学ぶことが出来ます。
1 神様に対する信仰、信頼
聖書は真の神様を信頼することの大切さを繰り返し教えています。信頼=信仰です。
私たち日本人は神様なんかいなくても自分の力で生きていける、という考え方がありますが、これこそ高慢な態度だと言えます。神様抜きにどんな活動をしようとそれは全部空しい働きなのです。
2 神から来る希望
人の人生はそれぞれですが、みんなに等しく最後にやってくるものは死です。そして殆どの人々がそれを嬉しいと思っていません。あなたがどんなに死を忘れようとしても、死はあなたを決して忘れません。聖書ははっきりと「人は一度死ぬことと死んだ後に裁きを受けることが決まっている」と宣言しています。死が待っている、神の裁きが待っている。命の源である神様から離れることを聖書は罪と言っています。一つ一つの行為ではないのです。罪の根本はこの私たちに命を与えてくださった創造者なる神を信じない、無視すること。その生き方が罪なのです。イエス・キリストにある希望を手にしたら私たちは死を恐れない歩みができるのです。
3 霊的な回復のためには神様との愛の交わり
イエス・キリストは圧倒的な権威者ですが、仕える者の姿でやって来られました。圧倒的な権威の前に私たちは恐怖心を抱き服従します。独裁者は愛情を絶対に得ることは出来ません。恐ろしいから従っているからです。イエス・キリストはそんな関わり方を私たちにしてほしくなかったのです。イエス様は愛のゆえにご自分の愛に応える人を求めていらっしゃいます。そこまでして私たちを永遠の滅びから引き戻したいと願われています。
霊的な回復は神様に対する信頼と神から来る希望と、神との愛の交わりの中で生まれるということです。私たちの霊的な回復もそこにあるのです。
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