2024.6.23
「神の愛・憐み・赦し・救いを求めて」
旧約聖書詩篇123篇
春名牧師
健康で長生きする人と、そうでない人との決定的な違いは友達の人数、これが健康で長生きの決定的な要因だと分かっています。友達が多いと、一緒に楽しい時間を過ごす機会が増えます。そのことにより体内の免疫が格段に上がるのです。
1 神について
万物を造られた方、それは私たちの神であり全てを支配なさっているお方。「主」という言葉は常に存在し続ける、他の何者にも依存しない方、あるいは決してなくならない方という意味があります。一日の終わり、西の空には美しい夕焼けが見えます。自然界の美しさを見ることによってその背後におられる創造主である神様を知ることが出来ます。その神様が私たち一人一人を見守ってくださっていると聖書は言っています。神様は私たちの状況をよく理解し私たちを救うためにこの世界にやって来られました。それが救い主キリストです。「人の子は失った人を探して救うために来た」とイエス・キリストの言葉にある通りです。
2 罪について
この詩篇は人間の罪ついてはっきりと教えています。人が犯す罪の悲惨さ、あるいは本質というものを教えてくれます。罪の結果は人を不幸にします。人は見ていなくても神様はご覧になっているし、罪悪感を感じるように私たちは造られています。しかし、イエス・キリストの救いを通して罪の意識から解放され、本当に晴れ晴れと人生を歩む必要があります。
3 救いについて
救いは外からやってきます。イエス・キリストについて予言者イザヤは「彼は悲しみの人で病を知っていた」と記しています。イエス・キリストが十字架につけられた時、人が味わう絶望感も経験されました。だから絶望している人の心が誰よりも分かるのです。
1節でこの詩篇の作者は言っています。「あなたに向かって私は目を上げます」ヘブル人にとって目とはまさにその人の存在を表しています。
イエス・キリストは哀れみ豊かなお方です。このキリストの愛と赦しと憐れみの中を歩んでいるこの恵みを心から感謝したいと思います。まだこの救いに預かっていない方は、ぜひキリストを信じてキリストにある神の愛と哀れみと赦しの中を歩んでいただきたいと思います。
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