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  • 執筆者の写真はるな

2023.12.10

 

2023.12.10

クリスマス…限りない平安

詩篇119篇161~168節

春名牧師

 

 

神を信じる者には豊かな平安があります。

豊かな平安とはへブル語で=シャロームラブと言います。

平安とは単に戦争がないという事ではなく、もっと広い意味を持っています。

例えば「平和・繁栄・健康・充足・救い・勝利」こんな日本語を全て含んだ言葉がシャロームです。

イエス様が最後の晩餐の席で弟子達を集めて遺言とも言えるメッセージを語られた箇所があります。天の父を信じ救い主である私を信じなさい、心を騒がさないでいなさい、と。では、私達はどんな時に心が騒ぐのでしょうか?何があれば心が騒がないのでしょうか?

1:信頼出来る物を持っている

信頼するもの、信じるものが何もない時に心が騒ぎます。

この詩編の箇所で登場する君主は故もなく、理由もなく国民を迫害していました。しかしこの作者は「私は心を騒がせない、私は勝利を確信している。」といっています。

王様や国は信頼できないが、私には信頼出来る方がいる。それは天地を造られた神様だ。その事を思うと私は一日に7回いや何度でも何度でも、その事を思う度に私は神様に感謝する。こう言っている訳です。

この方が私を守ってくれる!だから私は恐れない!そう思う度に私は賛美したくなる。本当に確かに信頼できるものがある!!という時に人々はシャローム(平安を持つ事が出来る)があり、それが無いと心が騒ぐのです。

2:生きる事の意味や価値を知っている

その時に、私たちは心を騒がす事無く生きていけます。

自分の人生には意味がある。自分の人生には価値があるんだ!!!と思える、確信出来るという事です。

人は自分の生きがいや生きる目的を失った時に生きる意欲も失ってしまいます。

神様は一人一人の人生をジクソーーパズルの1ピースの様に私達をお造りになりました。ジクソ―パズルは1つのピースが無いと完成しません。

私達一人一人が自分の人生だけを見ていたら、何の意味が?何の価値があるのだろうか?と悩む事があるかもしれません。

しかし、ある所にそれがはめ込まれたら素晴らしい絵の一部になれるのです、

同じ様に私達も命を与えて下さった創造主の神様と私達の人生がセットになった時に、初めて自分の人生の意味が分かるのです。自分自身の価値を理解できるのです。

 

私たちはある時までこの世にいませんでした。ではいつから存在していたのか、、、

持論ですが神様の頭の中にいたんです。偶然たまたま生まれてきた人なんて一人もいないのです。みんな神様の頭の中…御心の中に居ました。そして神様が「私の心の中に居るあの子たちを解放したい!!この世にお送り出したい、そしてあの子たちを通して少しでもこの世をよくしたい!そのために使いたい!」そう思われたので私達はこの世の今と言う時代に生まれてきました。。どの時代でもないこの時代にです!!

私たちに命を与えて下さった天地創造の作り主なる神様を知った時に、私達の人生はハッキリとした意味や目的を持ちます。

その時に私達は心に平安を持つ事が出来るのです。

何があっても私は神によって愛されている、造られたもの、選ばれたもの、価値あるもの、するべき事があるんだ!とその確信をもらえるからです。

その存在に意味と価値があるのです。

み言葉を開く時に私達は自分の意味や価値や目的を見出す事が出来ます。

3:死を恐れないで生きる

死を恐れない人生こそ厳粛な人生の秘訣です。死の向こう側に何があるのか?

死んで返ってきた人しか死の向こう側を語る資格はありません。後は勝手な想像に過ぎないのです。

イエス様は十字架に掛けられ、殺され葬られ、死んで三日目に甦られた唯一のお方です。死の向こう側に永遠がある事を証明しました。

だから「私を信じる者は、死ぬことがない」と言われています。

「死」は、私達の肉体と私達との魂が分離する事です。

肉体は何年かすると土に返ってそれで終わりです。では魂はどうなりますか?

魂は二つの場所に行きます。キリストによって救われた魂は主の身元へ、パラダイスに帰っていきます。しかし救われていない魂はハデスという苦しみの場所へ行きます。そして最後の審判の時にゲヘナと言う場所に投げ落とされるのです。

聖書の死後の世界は曖昧ではなく、はっきりとクリアに私達に教えています。決して脅す為ではなく私達が備えをする為です。そのゲヘナへどうしたら行かないで済むか?という事を教えます。しかし死を恐れない生き方があります。それを聖書は教えています。

イエス様を信じると天国への準備をして希望をもって待つ事が出来る人に変えられます。

「救いの道も解放の道も天国への道も全部主よあなたの御前にあります」。イエス様も仰いました。ヨハネ14章「私が道です真理です命です。私を通して出なければ父の身元に行くことは出来ない。」私は天国への道だ…とおっしゃったんです。

さぁ皆さんは確かなものに繋がっているという確信をお持ちですか?

自分の人生には意味や価値があるんだと思いながら生きてらっしゃいますか?

何よりも…死の準備が終わってらっしゃいますか?限りない平安をお持ちですか?

それを持つとキリストの平安を持つ事が出来ます。是非その平安を持って歩んで欲しいんです。聖書はその事を私達に伝える為に神様から贈られたメッセージなんです。

いや、2000年前にイエス様がこの世界にお生まれになったクリスマスこそ神様からの贈り物です。「私はあなたがたに平安を与えます・・・」

そしてそれを持っていると思う方は、それを持ってらっしゃら無い方にお分かちください。その為に少しだけ早く持たせてもらえたのですから。

今週も私たちの歩みが、神様の前に本当に意味があり、価値ある者である事をしっかりと知りながら歩む一週間でありますように。

 

 

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